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るりのん

 住宅街の路地裏に、男が一人立っていた。
 日本人離れした身長。色素の薄い髪。黒いハイネックをまとい、肩には細長いケース。
 息を殺し、耳を澄ます。
 少し先を行くアスファルトを蹴る足音は、軽く高い。その音が角を曲がる気配を確認し、男は静かに後をつけ始めた。

 やがて男は足を止めた。
 足音がカノンになっていた。
 高い音を低い音が追う。高い音が止まると時間差で低い音も止まる。小休止。また高い音が駆け出して、それを低い音が追って──低い音は段々こちらに近付いてきている。
 同業者か。頃合いを見計らって男は軽く足を持ち上げた。
「うわっ」
 角を曲がったロングコートの人影がつんのめった。
 ……引っ掛かったよおい。
「何すんだお前!」
 軽くよろけただけでロングコートの男はすぐに体勢を立て直す。そのまま彼はハイネックの男の襟首をひっつかんだ。
 銀縁眼鏡に無精ひげ、オールバックのこれまた大男だ。
「……標的が逃げるぜ」
「ああ──くそっ」
 ロングコートの男は襟首を掴んでいた手を離し──駆け出そうとする。
「まあ待てって」
 ハイネックの男が、翻るコートの裾を掴む。
「てめえっ」
「同業者の足引っ張るのは基本だろ」
 コートの裾を離し、ハイネックの男は片手で器用にマガジンポーチから煙草をとりだし、ひょいと咥えて火をつける。
「どっちにしろ気付かれたらもう捕まらない」
「間に合うかもしれねーだろ。相手は子供だ」
「いや、もう無理」
 軽い足音は追手の存在に気付いたようだ。足音のピッチを急に上げ、小さくなり──消えた。
「嘘だろ?」
 音の消えた方向をロングコートの男が驚いて見る。
「……いや、鬼憑きならあり得るか……」
「『鬼憑き』?」
 彼が漏らした意外な言葉にハイネックの男は軽く目を瞠る。
「そうだよ」
 苦い顔をして──ロングコートの男は肩を落とす。そのまま胸ポケットをさぐり──軽く舌打ちする。
「モクまで切れてやがる……お前一本寄こせ」
「何で」
「俺の足引っ張りやがったんだ、それくらい譲歩してもいいだろ?」
「まあ構わんけど」
 ハイネックの男はマガジンポーチにしまい込んだ煙草を取り出し、軽くゆすって一本飛び出たところを相手に差し出した。
「おう、ありがとよ」
 ロングコートの男は煙草をとり、咥えて火をつけ、煙を深く吸い込んだ。
 たゆたう煙。一息ついたところを推し量って、ハイネックの男は彼に話しかけた。
「ところであんた」
「あんたじゃねえ」
 ロングコートの男はぎろっとハイネックの男を睨みつける。
「だって俺あんたの名前知らねえし」
「藤城だ藤城」
 ロングコートの男は灰をおとし、いらっとした声で名乗った。
「じゃ、藤城サン。あんたさっき『鬼憑き』って言ってたな?」
「言ったけどよ。名前教えたんだからお前名乗れよ」
「あんたが勝手に名乗っただけだ」
 ──藤城が派手にむせる。
「……な……狡ぃぞ!」
「狡いも何も……あんたと俺友達でも何でもねえだろ」
「俺は紳士なんだよ!紳士は自分から名乗るもんなんだ」
「紳士って柄かな」
「少なくともお前よりかはな。……ああ、ったく、これ以上教えねえぞ」
「そーの」
 ハイネックの男はぼそっと呟いた。
「……あ?」
「草野和秀(そーのかずほ)。満足?」
「何なんだよお前」
「紳士云々にこだわりはないけど、『藤城サンより紳士じゃない』とか言われるとそれは問題な気がしてきた」
「お前なあ」
「名前教えたから続き教えて」
 藤城は目を丸くしてこっちを見ていたが、やがて大声で笑い出した。
「……お前、面白え」
「そりゃ光栄」
 草野は傍らで強く光を放つ自動販売機にコインを突っ込み、出てきたホットコーヒーを藤城に向かって放り投げる。
「っと。アブねえなあ」
「あんたならだいじょぶだろて思って」
 草野はもう一本ブラックコーヒーを買い、プルトップを開けた。そうまま植え込みのブロックに座り込み、コーヒーをすする。
「孫に鬼が憑いてるってな。ご家族から頼まれたんだよ」
「──ああ。あのばあさん、あんたにはそういったのか」
 依頼主の年配の婦人を思い出す。厳格な雰囲気が漂っていた。
「そう言ったのか、って……」
「あんた祓い屋?」
「そうだけど……草野お前、同業者とか言ってなかったか?」
「同業といえば同業だけど……俺はいわゆる掃除屋ってやつでして」
 『掃除屋』。その名前に反応して、藤城が軽く目を細める。
「俺はこう言われた。『孫が憑かれた。もう戻せないから殺してほしい』ってさ」
 『祓い屋』と『掃除屋』。いわゆる「アヤカシ」に対峙する者であるという部分については共通だが、いわゆる標的に対するスタンスが違う。文字通り、祓い屋は標的から憑いているものを祓う。一方掃除屋は憑かれた者を滅するのが仕事だ。
「お前、それ受けたのかよ?」
「ああ」
「てめえ、あんな小さい子殺す気なのか!?」
 藤城が詰めよる。
「話は最後まで聞けよ。……あの子は憑かれてるんじゃない。鬼人だ」
 草野は短くなった吸殻を踏み潰し、携帯灰皿に突っ込む。新しい一本に火をつけて、彼は言葉を接いだ。
「鬼人……?」
 藤城の手の力が緩み、離れる。
「知らねえか? 鬼と人との混血だよ」
「いや、知ってるけど……そんな話は聞いてねえぞ」
「そりゃそうだ。それがわかっちまったら、あんたに依頼する意味がなくなる」
「どういうことだよ」
 おそらくは頭がクエスチョンマークでいっぱいになってるであろう藤城に、逆に草野が質問した。
「あんた、祓いの能力はどんくらい?」
「まあ職業にしてるくらいだから、それなりに自信はあるが」
「あの子は人と鬼の直接的なハーフだ。そういう人間からむりやり鬼の部分をはぎとったら、まあ……死に至るだろうな」
 藤城の顔が、だんだん事を理解したという顔つきになっていき──困惑の色を深める。
「じゃあ……」
「あんたが仕事に成功してあの子を死に至らしめても、それは単なる事故だしな。まあ俺の単なる悪意ある推測だけど」
「だけど、なぜ? 孫だろう?」
「血縁だからって愛情がかならずあるとは限らない。……だろう?」
「でも……」
「あの子は、ばあさんの息子が鬼の女性と恋に落ちて生まれた子供なんだそうだ。……あのばあさんは自分の血筋に鬼の血を混ぜたくないのさ」
「そんな……そうだ、父親はどうしたんだよ。生きてんだろ」
「知らないよ。ばあさんは秘密裏に事を進めてるんだろうからな。死んじまえばあとはどういう理屈付けだって可能だし──あんた、この業界にいるにしちゃ甘ちゃんだな」
 藤城がむっとした顔をする。
「悪かったな。子供殺しは嫌なんだよ。──それよりお前はどうなんだ」
「ん?」
「あの子を捕獲したら──殺すのか?」
「んー……とりあえず、話を聞いて、当人の意志を確認したいってとこだけど」
「……どういうことだよ」
「俺がこの依頼断っても、誰かが受けるだろ。となれば、俺が手を下さないってだけで見殺しにするのと変わらない」
「……ああ」
 藤城はにやりと笑った。
「あんたもそれなりに甘ちゃんだな」
「よせよ。柄じゃない」
 空に白い色が滲んできた。
「単なる感傷なんだよ。俺も鬼人だからな」

「……あれ」
 住宅街の路地裏。パジャマを着た髪の長い少女が周囲を怪訝そうに見回していた。
 家の布団に入って寝ていたはずだった。どうしてこんな場所にいるのだろう?
 小さくくしゃみをする。冬の夜中だというのに、上着も着ていない。
「寒い……」
 小さくかすれた声で呟く。
 前にもこんなことがあった。あのときは見慣れた場所だったから、そのまま帰ってもう一度家で眠ったけれど、ここは見回してもどこなのか全くわからない。
 どうしよう。
 その瞬間に頭に何かが被さった。
 すごく大きい……コート?
「そんな恰好じゃ風邪引くぞ、ガキ」
 銀縁の眼鏡、オールバックに無精髭。
 そんな出で立ちの大男が自分を見下ろしていた。

「──きーやーあーあーあーあーああああああ!!」

 大男──藤城は面食らった顔をしながらも慌てて少女の身体を抱えて口を塞いだ。
「お前なあ……寒そうだからコート貸してやったのに、そんな人さらいに会ったみたいな悲鳴……」
 ぶつぶつ呟いている。その様子を見て少女は抵抗をやめた。
 藤城はようやく口を塞いでいた手を離した。
「……おじさん、ゆかいはんじゃないの?」
「愉快犯て」
「あ、違った。誘拐犯」
「全然意味が違うだろ。んでもってどっちも違ーうっ!」
 少女はそんな藤城の様子をきょとんとした顔でみていたが、やがてうつむいてくすくす笑い出した。
「……おじさん、面白い」
「あー。その、『おじさん』もな……俺は若い。まだ若い」
 自分に言い聞かすように呟く。
「だって、名前知らないもん。あ、こがね、よ。くがさわ こがね」
 アスファルトの上に指で漢字をなぞる。
「草木の木に、お寺でつく鐘って書くの」
「可愛い名前だな」
「ほんとに? 友達は変な名前っていうの。嬉しいな」
 にっこりと笑い──こがねはもう一度小さくくしゃみをする。
「あー、冷えきったな……」
 藤城は周囲を見回す。が、深夜の住宅街。あいている店はない。
「嬢ちゃん、コーヒーは飲めっか?」
「ミルク入ってるのだったら大丈夫……」
「そーか」
 藤城はすぐそばにあった自動販売機にコインを入れた。がらがらん、と缶が落ちる音。
「ほらよ」
 手渡されたのは──ミルクコーヒーのショート缶と……ぴよこ?
「夜食にしようと思って持ってきたんだ。最後の一個だからな、ありがたく食え」
「……うん」
 缶を握った指先がじん、としみた。

 こがねがミルクコーヒーとぴよこを食べ終わった後、藤城はコートに包んだ彼女を抱えて歩きだした。深夜の住宅街。あいている店と言えばコンビニがせいぜいだ。
「藤城さん、ここどこなの?」
 抱えられながら少女が呟く。
「隣町だ。そんなに遠かねえよ。……てっても、こがねの足じゃ相当歩いたよな」
「ふうん……」
 こがねは小首を傾げる。
「こがね、ここまで歩いてきたんだ」
 道すがらこがねの語る話を聞いててわかったのは、寝ている間の記憶がまったくなかったということだった。
 夢を見てたの、と白い息を吐きながらこがねが呟いた。
「ママがいたの。こがね、ママの顔知らないんだけど、何となくママだと思ったの」

 10分ほど歩いてようやく見つけた24時間営業のファミレスに入り、フリードリンクを注文する。
 こがねがお茶を飲んでいるその合間に近くのコンビニへ行こうとして──背中から声をかけられる。
 数時間前に知り合ったばかりの若い男──草野とか言ったか。
「ほい」
 茶色の紙包みを手渡される。中には女性用の靴下と靴が入っていた。
「……お前どこから尾けてた……?」
「さて。俺も『お仕事』なので」
 草野はにやと笑う。
「必要経費で後で請求するからよろしく」
「お前鬼か」
「鬼人だけに?」
「うちの経理怖いんだよ」
 草野がくっくっと笑う。
「きっちりしてるって言ってくれ。……あんたがついてるならどうこうしないよ」
 主語は大いに省かれているが、草野が言っているのはこがねのことだろう。ぽん、と藤城の背中を叩く。
「店に一人じゃお姫様が不安がるだろ。早く帰ってやれ王子様」
「そんなんじゃねえ」
 憎まれ口を叩きながらも、藤城はファミレスへ帰って行った。

「こがねって名前、パパがつけたんだって。ママの目が綺麗な金色だったからって……変よね。目が金色のひとなんて、いないのに」
 紅茶を淹れたカップを両手で持ち話し続ける少女を見ながら、藤城は小さく息を吐く。父親は彼女に母親が「鬼」であったことを伝えてないのだろう。無理もない。まだ10の子供だ。
「あったまったか?」
「うん」
「じゃ、帰るか」
「……うん」
 少女の笑顔に陰が射す。
「ん? 帰りたかねえか?」
「ううん」
 といいながらも少女の表情は晴れない。
「家でちゃんと寝ろ。じゃねえと育たねえぞ」
「うん」
 少女はようやく立ち上がった。

 少女を家に送り届けたのは、午前4時。
 こがねは自分を包んでいたコートを脱いで、藤城に手渡した。
「コート、ありがとう。藤城さん寒かったよね」
「あー……大丈夫、俺は鍛えてるから」
「そうなの?」
 頭を大きな手で撫ぜる。
「そうなの。こがねは子供なんだから大人の心配すんな」
「うん……」
「じゃあな」
 コートを羽織って、藤城は踵を返す。
「あ、あの」
 こがねが藤城を呼びとめた。
「ん?」

「……また、会える?」
「さあな」
「……そう……」
 小さい返事を背に、藤城は歩き出した。
 こがねの手にまだミルクコーヒーの缶が握られていたことに、彼は気付かなかった。

 翌日、藤城は再度久我澤家を訪れた。
「で、いかがでしょうか。藤城先生のお見立ては」
 先日仕事を請け負った際、老婦人には『まず当人を確認してから』という話はしてあった。どんな優秀な霊媒師でも、話を聞くだけで憑りついたものの正体を見定めるなど──ましてや祓うなんてことはできやしない。
「……この件に関しては、私の手は必要ないでしょう」
 藤城の言葉に老婦人が軽く目を瞠る。霊媒師は祓うのが仕事。実際がいかさま師だとしても、せめてお祓いの真似事だけでもしなくては収入は発生しない。まさかそんな返事を返すとは思っていなかったに違いない。
「医者は──健康な人間にわざわざ要らない治療を与えたりはしないでしょう? まあ気休めに無難な薬を売りつけたりすることはあるでしょうけどね」
「ですが」
「奥様のお話と当人の様子を見て総合的に見立てた結論ですよ。お孫さんに異常はありません」
 藤城は立ち上がる。
「そんなはずはありません」
 背を向けてそのまま去ろうとした背中に、老婦人の言葉がつきささった。
「あれが普通の子供である訳がありません。あれは、鬼の子供なのだから……!」
 老婦人は断固たる口調で、藤城が振り返る。目が細めて、藤城は静かに言った。
「……それは初耳ですね」
 老婦人は小さく口許を押さえる。
「ご存知の情報は洗いざらい教えてください、と申し上げたはずですが」
「それは……」
「今からでも構いませんよ。お教えいただきましょう。でなければ、今回の件はここで打ち切りにさせていただきます」

「ただいまー……」
 こがねは玄関で小さく呟いた。
 返事はない。──いつも通りだ。
 朝通常通り学校へ行ったが、寒気が収まらなかった。その旨を担任の教師に伝えたところ、保健室に連れていかれ、微熱を確認し自宅へ帰されたという次第だ。
 覚えがないが、冬の真夜中にパジャマ一枚で外をふらついていたのだ。そのせいだろうと思った。
 廊下を横切って、自分の部屋へ向かう。
「──あれは、鬼の子供なのだから……!」
 いつになくヒステリックな老婦人の声に、こがねの視線が居間の中へ吸い込まれた。
 ……鬼の子供。誰が……?
 そう思って──この家の中にいる子供は、自分だけだと気づく。
 鬼の子供……こがねが?
 そして。
 自分に背を向けて立っている、ロングコートの後ろ姿。あれは──
 思わず、後ずさった。後ずさって……背中に背負ったカバンが廊下の壁にぶつかる。
 根付の鈴が、小さく鳴った。
 居間の中の、トレンチコートの男がその瞬間こちらを振り向いた。
 ふじしろ、さん──
 反射的に、玄関へ走り出した。
 祖母の嫌悪を込めた叫び。その祖母の話を向かいで聞いていた藤城。
「──こがね!」
 居間のガラス戸を開けて、藤城が叫ぶ。
 追いかけようとして、一瞬老婦人のほうへ振り返る。
 老婦人は冷静なまま、ソファに座っていた。
「好都合というものです」
 老婦人は、薄く笑っていた。
「……あんた……鬼の子供ったって、孫なんだろう!?」
「久我澤の家には鬼の血をひく者はおりません」
 藤城の顔にさっと朱が上る。だが老婦人の言葉には答えず、そのままこがねの跡を追って走り始めた。

「和久井」
「はい奥様」
 老婦人の傍らに立っていた年配の執事が静かに返事をする。
「『掃除屋』に連絡を取りなさい」

 こがねの足は意外に速かった。
「あー……何て足だよっ」
 藤城は追いかけながら一人ごち──
(鬼の血……なのか)
 と思う。
 少女の姿が角の塀の向こうへ消えた。
「だあああっっ!」
 藤城の足がアスファルトを蹴った。そのまま信じられない跳躍力を発揮し──塀の上に着地する。
 少女が曲がった角は、直角ではないはずだった。ならば塀の上を斜めに突っ切っていけば、追いつける。
 しばらくして、少女の姿を藤城は捉えた。
「見つけたああああああああ!」
 こがねは一瞬振り返り──そのまままっすぐ走って──不意に足を止めた。
「!?」
 鋭い音が、藤城の鼓膜を焼いた。
 音の元へ視線を向ける。
 低層ビルの上。ライフルを構えた長身の影──
「……草野!?」
 少女は立ちすくんでいる。自分を狙ってる者がどこにいるのか、彼女には判断できないのだろう。
「こがね!」
 動けなくなっている彼女の手を取り、ライフルの死角に飛び込む。
「ふじしろ……さん……」
「怪我ぁないか!?」
 少女はこくこくと頷いた。
「あんの野郎……ともかく、逃げっぞ!」
 藤城は少女の身体を抱え上げ、走り出した。

 どのくらい走っただろうか。
(やべえ)
 かなり距離を詰められている。歩き慣れた場所とは違い地の利は向こうにあるようだ。
 全速力で走っていた足が止まる。
(しまった)
 袋小路だ──
 振り返る。
 長身の影は既にそこに立っていた。

 こがねをかばいながら、藤城は草野の正面に立つ。
「草野……本気か?」
「俺はいつでも本気ですよ」
 のほほんとした口調で草野は答え──一歩一歩間合いを詰めてくる。
 藤城はこがねを背中のほうへ押しやり、両手を後ろに振った。いつの間にか、その手には日本刀らしきものが握られている。
「……器用だな、藤城さん」
「ほざけ」
 草野はくすっと笑って藤城の正面へさらに間合いを詰める。
 藤城は身構える。
 草野の姿が消える。
「でも、甘い」
 続きの声は、藤城の背中から聞こえた。
「ふじしろさぁん……」
「こがね!」
 草野が、背後から少女の腕を取っていた。
「強いってわかってるのに、正面からぶつかったりしないよ」
 左手に持ったナイフを確認し、藤城は身動ぎする。
「てめえ……」

「ごめんね、こがねちゃん」

 根付の鈴がころがり、儚い音を立てた。
「……草野」
「時間稼ぎ」
 長身が地面に転がった鈴を拾う。
「悪いけど、その子預かって。俺はクライアント誤魔化すから」
 ナイフをたたみ、草野はこがねの身体を藤城のほうへ押しやった。
「いやー助かるなあ」
 藤城は草野の笑顔に我に帰ったように食いついた。
「てめえ……そうならそうと……!」
「だって藤城さん、演技下手そうだから。ほら、敵を欺くにはまず味方からって」
「おまえなあああ!」
「言ったでしょ。俺はいい奴じゃないので。今回もただの感傷(きまぐれ)」
 鈴を腰のマガジンポーチに落とし、二人の横をすり抜ける。
「じゃあね」
 そして、塀の向こうに姿を消した。

「で? その子を連れ帰ってきたワケですか」
「まあな」
 20歳前後の青年が面白そうに笑っている。
 藤城霊媒事務所。
「いやー。藤城さん完敗ですねー」
「負けてねえし」
 言い返し──藤城はこがねのほうに目を落とす。
「だいじょぶか? こがね」
「うん……」
 あのあと。草野が姿を消した途端、こがねは腰が抜けたようで、一歩も動けなくなってしまった。匿えとは言われたが特に思い当たる場所もなく、一旦本拠地へ少女を持ち帰ったという次第だった。
「……ごめんね逃げたりして」
 こがねが小さい声でつぶやく。
「あ? 気にすんな」
 煙草に火をつける。
「……おばあちゃん、やっぱりこがねのこと、好きじゃなかったんだ」
 ぽつりと落ちた呟きに、二人は返す言葉を失う。
「何となく、こがね、わかってたの……でもね、こがね、気づきたくなかったんだ」
 だんだん声が小さくなっていく。
「だって、おばあちゃんはパパのママだも……」
 藤城は、つけたばかりの煙草の火を消した。
 そのまま、こがねの身体をだきかかえ──あたまをぽんぽん、と叩く。
 シャツに埋まった場所から小さな嗚咽が聞こえた。

 がちゃり、とドアが開いた。
「お邪魔しまっす」
「どなたです……?」
 こがねにしがみつかれて動けない藤城の代わりに清水が玄関に向かう。
 草野だった。二人はしばらく会話を交わし──やがて草野は持ってきた封筒を清水に渡し、再び扉の向こうへ消えた。
「……何だって?」
「今回の報酬の半金ですって。藤城さんの迫真の演技のおかげで今回の仕事が終わったからって」
「あー嫌味なやつだなっ」
 藤城は清水から封筒を奪い取り、中身に目を落とす。
 そのまま固まった。
「……どうしました……?」
「これ、提示報酬の四分の三じゃねえか」
「え? ああ、確かに少し多めとは言ってましたけども……」
「冗談じゃねえ、こんなにもらえっか」
「もらっとけばいいんじゃないですか?」
「清水!?」
「こちとら、女の子一人預かってるんですから。預け先が決まるまで、全くお金がかからないワケじゃないでしょう。……あ、そうだ、こがねちゃん」
 藤城の身体に顔をうずめていたこがねが、顔をあげる。
「これ」
 清水が空のミルクコーヒー缶をこがねに渡した。
「わかんないけど、宝物なんだって? さっきのお兄さんが持ってきた」
「うん……」
 こがねは空の缶を受け取って、ようやく、にっこりと笑った。

「藤城さん。……藤城さん!」
「んあ」
 藤城はぼんやりと目を開く。
「何してるんです、もう働く時間ですよ?」
 呆れたような表情で、ひっつめ髪の女性が見下ろしていた。
 栗原実亜子(くりはら・みあこ)。藤城霊媒事務所の経理兼総務をつとめており、平日だけ出勤している。そういえばもう月曜日だった。
「あー、悪ぃ……土日働きづめだったもんで」
「まあ緊急の仕事もありませんから寝てても構いませんけど、見苦しいから寝るなら奥の部屋でって前から言ってるじゃないですか」
「うん、それはそうなんだけどちょっとそういう訳にもいかない状態になって」
「何言い訳してるんですか」
 そのとき、奥の部屋の扉からこがねが顔を出した。
「おはようございます、藤城さ……」
 その挨拶は実亜子の絶叫でかき消された。
「ふじ、ふじ、ふじ、ふじ……」
「何……」
「いくらうちの事務所が赤字続きだからって……」
「ちょっと待ておい」
「何こんな可愛い女の子を誘拐してきてるんですかあああああ!」
「お前まで俺を誘拐犯にするなあああああああ!!」

 数十分後。
 土日に起きた事件のあらましを聞き終わってようやく実亜子は平静な表情に戻った。
「事情はわかりました。でも、彼女の身柄はどうするんです?」
「それなんだよな」
 藤城は腕組みして煙草をくわえたままソファにもたれ掛かり天井を仰ぎみる。こがねは、大学の授業がなくて暇だという清水が先程買い物がてら連れ出していって不在だ。
「子供とはいえ女の子だからな……こんなむさい職場においとくのも」
「それもそうですし、そんな金銭の余裕この事務所にはありませんよ」
「ああ、当座の分は今回の報酬で……」
「先月の分の経費充当がまだできてませんが」
「う」
 そうなのだ。いくら藤城の霊媒としての腕が高くても裏路地の雑居ビルに居を構える藤城冷媒事務所への依頼の数は少なく、よって赤字が続いている。
「藤城さん、仕事は選ばないし、簡単に値切られるし……」
「それしか払えねえってんだから仕方ねえだろうが」
「私達の生活がかかってるんですから気軽に値切られないでください」
「……」
「いつまでもスポンサーのお慈悲で暮らせる訳じゃないんですから」
 まあ、普通はそうだ。
 二人が同時にため息をついたとき、事務所のドアが開いた。
「藤城さん、いる?」
「おう」
 草野だった。藤城はむくりと身体を起こす。
「どなたですか?」
「さっき話したろ。こいつがさっき話に出てた協力者ってやつ」
「ああ、報酬の四分の一を持ってったとか言う」
「違うだろ、四分の三をこっちに配分してくれたんだろーが。お前」
 草野は藤城と実亜子のやりとりに目を丸くしている。
「……あのさ」
「何ですかっ」
「そういう会話を大声ですると、大家さんに聞こえちゃうんじゃない? 大家さん最上階に住んでるみたいじゃない」
 今更ながらに実亜子は黙り込む。
 その様子を見て藤城はほっとした顔で入り口に寄ってきた。
「で? 用件は何だ?」
「ああ、お嬢さんのことなんですが」
「おい、立ち話も何だからさ、中入れよ」
「いいんですか?」
「おう」
「じゃ、お邪魔します……おっと」
 受付カウンターにぶつかり、何かが落ちた。草野は反射的にそれを拾い──
 ばちっ。
 拾ったそれをまじまじと見つめる。
「……え……」
「何だ? どうした?」
「いや、何か静電気みたいなのが走って──」
 実亜子がはっとした表情で受付カウンターに寄ってくる。そのまま無言で草野の掌からそれを奪い取り──すぐ脇にあったノートPCに差し込んだ。
「あ──あああああああああっ!! 消えてるううううううううう!!!!!」
 そのままきっと草野をにらみつける。
「何てことするんですかああああああ!」
「……もしかしてそれって……霊的に清めてあったんですか」
「当たり前でしょうおおおお! 霊媒事務所なんですから!!」
 実亜子は草野に詰め寄った。反射的に草野が後ろに一歩下がる。
 その隙に実亜子はカウンターの引き出しから『KEEP OUT』のテープを引っ張りだして入り口を封鎖した。
「もう出入り禁止ですから!」
「ああああ! 草野、外行こう、外! 喫茶店!!」
 藤城は慌てて草野を連れ出す。
「経費じゃ落としませんからね!」
 実亜子の絶叫が背中から追ってきた。
「わあったから!!」

「あー……ほんときっついですねえ」
 歩いて5分ほどの場所にあるチェーンの喫茶店。日の当るオープンテラスに草野と藤城は向い合って席をとった。
「もーしわけない……」
「いや、俺も何か壊したみたいだし……あれ一体何ですか」
 藤城は煙草に火をつけ、深く息を吸い込んだ。
「ああ、あれは祓ったやつ入れてあったUSB」
「USB?」
「うん。USB」
「初めて聞いた」
「日本だけらしいよ。そのうちアジアにも波及するかもな」
「ああ、一神教の国にはなじまないかもですね」
 草野は飲み込みが早い。いちいち説明するのは面倒だからこの回転の良さはありがたい。
「この業界もハイテク化するなあ……俺弁償したほうがいいですかね」
「いいよ……あんなところに放り出してたあいつも悪ぃから」
「ちなみにお値段は?」
「原価1GBで300円、データ1件につき相場で500万円ってところか」
「うあ、今回の仕事だけじゃ払えないですね」
「だからいいんだって。どうせ売る気ないし。だったらタダも同然だろ」
「……闇ルートですか」
「そ。金の亡者に見えて、実亜子もわきまえてんの。だから『これは売ったら500万なんだぞー』ってにまにましてるだけなんだよ」
 藤城はアイスコーヒーをずずっとすする。
「さて、本題に入るか……その前に」
「はい?」
「レーコもういっぱいおごってもらってもいい?」

 草野との話が終わり、事務所に戻ると清水とこがねが帰ってきていた。
「お帰りなさい。草野さんとのお話は何でした?」
「あー、その話なんだが……」
 藤城はちらっとこがねの顔を見る。
「……あー……ちょっと早いけど、昼飯にすっか。清水、こがね、一緒に来い」

 結局。藤城が話を切り出したのは、食後のデザートが出てきてこがねがそれに一口つけたぐらいのタイミングだった。
「……こがね。お前、巫女になる気ねえ?」
「……」
「祓手(はらいて)、ですか」
 咄嗟に返事を返せないこがねに変わって、清水が口を挟む。
「ん。こがねはその……鬼人だろ。だから、才能あるんじゃねっか、ってな」
「そりゃ悪くないですが、この辺で巫女の修行ができるとこなんて──まさか」
 言いかけて──絶句する。
「そ。泉谷神社」
「藤城さん。それどうやって頼みこんだんです? 俺の名前を出したとしても泉谷に要求が通るはずが」
「だから、それが草野の話。あいつのじいさんが泉谷の当主と面識があったらしいな。二つ返事で了承を得たらしい」
「それこそおかしいですよ。なまじ面識があるくらいじゃ泉谷の当主と交渉どころか、面会できるかすら──」
「あいつのじいさんてのがそれくらいの大物だってことなんだろ。……それにこの話の重要な部分はそこじゃない。こがねのこれからだ」
「……こがね、ここにいちゃいけないの?」
 ぽつりと、言葉が落ちた。

「んー、だめってわけじゃないけど……暮らすにゃ、ちょっとむさっくるしいだろ」
「藤城さんは住んでる。右京さんも」
「そりゃあ俺はあの事務所の主だからさ……でも、女の子が住むにはちょっと汚いし」
「ユキちゃんだって住んでるし」
「ユキは男だ」
「掃除するし。こがね、藤城さんのところがいい」
 藤城と清水は顔を見合わす。まさかそういう抵抗が来るとは思っていなかったのだ。
「……ごめんなさい。わがまま言いました」
「いいんだ、こがね。むしろお前のわがままを聞いてやれなくて悪い、と思うよ」
 藤城がこがねの頭を撫ぜる。
「けどさー、俺やっぱり女の子は可愛く綺麗でいられるところに住んだほうがいいと思うしさ……もし、お前が巫女さんになってくれたら、一緒に仕事できるし」
「……藤城さんの役にたてるの?」
「そりゃあもう」
「……わかった」
 こがねはそのあと、小さくごちそうさま、と言った。

「これでよかったんですかね」
 すこし前をゆくこがねの背中を見ながら、清水がぽつりとつぶやく。
「わかんねえよ。俺は神様じゃねえ」
 だけど、と藤城は呟く。

「あいつも、これからだろ。これから、楽しいこととか幸せなこととかたくさん覚えて──可愛い女の子になってもらわんとな」

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